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こんにちは☆
今日は11月9日にありました、山口での公演についてのご報告とさせていただきます(^^)!
今回は、瓜舞にこの山口公演を繋げてくれた立役者!『逆様』からのご報告となります☆
京都瓜生山舞子連中は、山口遠征を無事終えました。
山口県中央部に位置する宮ノ馬場集落で行われる「宮ノ馬場神楽舞」
こちらにゲスト出演する形で例年いただいておりますこの機会。
有り難いことに3年続けての出演となりまして、
地元の皆様にもそろそろ恒例行事として受け入れていただいている感すらございます。
しかしながら、きっとこのようにお考えの読者様もおられるでしょう。
「いったいどうして、遠く離れた山口県の神楽と瓜舞がつながっているの?」
その疑問にお答えするには、2年前迄話を遡る必要がございます。
よろしくお付き合いくださいませ。
申し遅れましたが、私は京都瓜生山舞子連中の団員であり、
宮ノ馬場神楽舞の舞子でもある、逆様と申します。
さて、さかのぼりますこと2年前。
筆者は、「神楽」と名の付く二つの芸能を結びつけることを画策し、
瓜生山舞子連中の仲間達に持ちかけました。
「地元の山口県で別の神楽をやってるんだけど、これがまた面白くて・・」
宮ノ馬場神楽の皆様にも、
「今京都で、島根の石見神楽をやってんですが、これがまた面白くて・・」
このように双方の興味を煽るだけ煽った挙句、
「山口いいとこだよーすてきな場所がいっぱいだよー」
と甘い言葉でかどわかし・・
瓜舞の仲間を本州の西の最果て、島根の左、山口へと連れ出した次第でございます。
近隣に位置する秋芳洞にて。
石見神楽に慣れ親しんだ瓜舞の面々にとって、宮ノ馬場神楽舞には違った面白さがあったようですし、
対して地元の方々にとって、石見神楽の賑やかな様子は新鮮で、好評をいただきました。
以来3年幸いにも、神楽というただ二文字の縁から巡り会った両者の交流は続いています。
京都で開催された「東の踊り 西の舞Ⅱ」では、逆に宮ノ馬場神楽舞がゲスト出演を果たしました。
そして今年も11月9日。
瓜生山舞子連中が二度ならず三度まで、はるばる京都から山口にやってきました。
他に福岡から参加のOGや、温泉津から強行参戦(日帰り!)を果たした我らが師匠もおいでです。
皆が皆、平日の忙しい合間を縫っての参加です。。
会場となる赤郷八幡宮
神楽を奉納する前に、別殿で神主さんが祝詞を挙げるところから始まります。
この儀式の締めに神楽が舞われ、以降は場所を八幡宮に移します。
神事の模様
宮ノ馬場神楽には現在5人の舞子がいます。
舞「子」ともあるように、本来は若年の者が舞うはずですが、
そもそも若い世代が少ないのでそうも言っていられません。
下はピチピチの小学6年生、上は60overと、不思議な年齢構成です。
自分の半分の年の子と、自分の2.5倍生きてる人と、幼なじみとの4人舞とか、熱いです。
演劇性のある演目は少なく、
舞自体も、同じ動作を繰り返しながらぐるぐる回る、という動きが基本となります。
シンプルな舞ですから、
「足を高く蹴り上げる」 「手を肩の高さより下げない」
・・このような指導をいただきます。
実際、舞においてはこれらの教えが肝となります。
演目「四本弊」 文字通り、弊を持った四人の舞手による舞
さて、宮ノ馬場神楽の花形、「四剣」が終わり、いよいよ瓜生山舞子連中の登場です!
(・・人手が足りなかったもので、以降はテキストでお送りします。。)
演目は三年続けての上演となる「恵比須」。
この時ばかりは、宮ノ馬場神楽の舞子もしばし休憩、観客に早変わり。
恵比須の入場は、温かい拍手で迎えていただきました。
恵比須を務めるは1回生の若人。
もはや三年目。飴を撒き、鯛を釣る一連の流れは、地元の方々はそろそろ把握しておられます。。
しかし、飴を撒くから恵比須が面白い演目、なんてことはありません。
半強制的に人に笑顔を伝染させ、朗らかな心にさせる魔力こそがその真骨頂。
恵比須の笑顔は、この日も地元の皆様の心に届いたように思います。
その後も神楽は続き、21時頃には終演と相成りました。
しかしながら、神楽と平行して行われている地元の方々の語らいは終わりません。
瓜舞の面々も、そちらにご相伴させていただきました。
石見神楽とはまた違う、宮ノ馬場神楽。
同じ神楽という芸能ながらも、演目、動作・・相違点を挙げればキリがありません。
ですが、それぞれの地域に根ざした芸能であることは、どちらにも共通して言えることです。
このような芸能を大切にしたいですし、大切にして欲しいと思っています。
宮ノ馬場の周辺には、似たような集落規模の神楽がありますが、
「舞手が足りない」という、切実な事情で神楽を出来なくなった集落もあると聞きます。
そして、一度失われた芸能を復活させるのは至難です。
芸能を通じて地域の振興を図る、ということは瓜生山舞子連中の活動理念の一つです。
そもそも石見神楽を学ぶこと自体、自ずと石見地方と関わりを持つことに繋がりますし、
今回のように他の芸能や地域と関わる機会を得られることがあるかもしれません。
そのような繋がりを大切に、これからも瓜生山舞子連中は頑張ってゆきます!
今日は11月9日にありました、山口での公演についてのご報告とさせていただきます(^^)!
今回は、瓜舞にこの山口公演を繋げてくれた立役者!『逆様』からのご報告となります☆
京都瓜生山舞子連中は、山口遠征を無事終えました。
山口県中央部に位置する宮ノ馬場集落で行われる「宮ノ馬場神楽舞」
こちらにゲスト出演する形で例年いただいておりますこの機会。
有り難いことに3年続けての出演となりまして、
地元の皆様にもそろそろ恒例行事として受け入れていただいている感すらございます。
しかしながら、きっとこのようにお考えの読者様もおられるでしょう。
「いったいどうして、遠く離れた山口県の神楽と瓜舞がつながっているの?」
その疑問にお答えするには、2年前迄話を遡る必要がございます。
よろしくお付き合いくださいませ。
申し遅れましたが、私は京都瓜生山舞子連中の団員であり、
宮ノ馬場神楽舞の舞子でもある、逆様と申します。
さて、さかのぼりますこと2年前。
筆者は、「神楽」と名の付く二つの芸能を結びつけることを画策し、
瓜生山舞子連中の仲間達に持ちかけました。
「地元の山口県で別の神楽をやってるんだけど、これがまた面白くて・・」
宮ノ馬場神楽の皆様にも、
「今京都で、島根の石見神楽をやってんですが、これがまた面白くて・・」
このように双方の興味を煽るだけ煽った挙句、
「山口いいとこだよーすてきな場所がいっぱいだよー」
と甘い言葉でかどわかし・・
瓜舞の仲間を本州の西の最果て、島根の左、山口へと連れ出した次第でございます。
近隣に位置する秋芳洞にて。
石見神楽に慣れ親しんだ瓜舞の面々にとって、宮ノ馬場神楽舞には違った面白さがあったようですし、
対して地元の方々にとって、石見神楽の賑やかな様子は新鮮で、好評をいただきました。
以来3年幸いにも、神楽というただ二文字の縁から巡り会った両者の交流は続いています。
京都で開催された「東の踊り 西の舞Ⅱ」では、逆に宮ノ馬場神楽舞がゲスト出演を果たしました。
そして今年も11月9日。
瓜生山舞子連中が二度ならず三度まで、はるばる京都から山口にやってきました。
他に福岡から参加のOGや、温泉津から強行参戦(日帰り!)を果たした我らが師匠もおいでです。
皆が皆、平日の忙しい合間を縫っての参加です。。
会場となる赤郷八幡宮
神楽を奉納する前に、別殿で神主さんが祝詞を挙げるところから始まります。
この儀式の締めに神楽が舞われ、以降は場所を八幡宮に移します。
神事の模様
宮ノ馬場神楽には現在5人の舞子がいます。
舞「子」ともあるように、本来は若年の者が舞うはずですが、
そもそも若い世代が少ないのでそうも言っていられません。
下はピチピチの小学6年生、上は60overと、不思議な年齢構成です。
自分の半分の年の子と、自分の2.5倍生きてる人と、幼なじみとの4人舞とか、熱いです。
演劇性のある演目は少なく、
舞自体も、同じ動作を繰り返しながらぐるぐる回る、という動きが基本となります。
シンプルな舞ですから、
「足を高く蹴り上げる」 「手を肩の高さより下げない」
・・このような指導をいただきます。
実際、舞においてはこれらの教えが肝となります。
演目「四本弊」 文字通り、弊を持った四人の舞手による舞
さて、宮ノ馬場神楽の花形、「四剣」が終わり、いよいよ瓜生山舞子連中の登場です!
(・・人手が足りなかったもので、以降はテキストでお送りします。。)
演目は三年続けての上演となる「恵比須」。
この時ばかりは、宮ノ馬場神楽の舞子もしばし休憩、観客に早変わり。
恵比須の入場は、温かい拍手で迎えていただきました。
恵比須を務めるは1回生の若人。
もはや三年目。飴を撒き、鯛を釣る一連の流れは、地元の方々はそろそろ把握しておられます。。
しかし、飴を撒くから恵比須が面白い演目、なんてことはありません。
半強制的に人に笑顔を伝染させ、朗らかな心にさせる魔力こそがその真骨頂。
恵比須の笑顔は、この日も地元の皆様の心に届いたように思います。
その後も神楽は続き、21時頃には終演と相成りました。
しかしながら、神楽と平行して行われている地元の方々の語らいは終わりません。
瓜舞の面々も、そちらにご相伴させていただきました。
石見神楽とはまた違う、宮ノ馬場神楽。
同じ神楽という芸能ながらも、演目、動作・・相違点を挙げればキリがありません。
ですが、それぞれの地域に根ざした芸能であることは、どちらにも共通して言えることです。
このような芸能を大切にしたいですし、大切にして欲しいと思っています。
宮ノ馬場の周辺には、似たような集落規模の神楽がありますが、
「舞手が足りない」という、切実な事情で神楽を出来なくなった集落もあると聞きます。
そして、一度失われた芸能を復活させるのは至難です。
芸能を通じて地域の振興を図る、ということは瓜生山舞子連中の活動理念の一つです。
そもそも石見神楽を学ぶこと自体、自ずと石見地方と関わりを持つことに繋がりますし、
今回のように他の芸能や地域と関わる機会を得られることがあるかもしれません。
そのような繋がりを大切に、これからも瓜生山舞子連中は頑張ってゆきます!
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カウンター
プロフィール
HN:
サークルメンバー
性別:
非公開
自己紹介:
島根県西部に伝わる郷土芸能“石見神楽”の習得、研究、創作に取り組んでいる団体です。
これまでに大分、高知、大阪、そして京都と全国各地で公演を行っており、冬には島根県大田市温泉津町にて
『新春神楽』という舞台公演を企画し、地元及び観光客の方々に披露しております。
2005年より京都造形芸術大学において地域に残る歴史や文化、芸術に着目し、地域活性化につなげようと
『温泉津プロジェクト』を発足しました。
毎年夏に行われるこのプロジェクトは、過疎化の進みつつある島根県大田市温泉津町を、地元の神楽団である
「石見神楽温泉津舞子連中」と京都造形芸術大学の学生による「京都瓜生山舞子連中」とが協力し地域活性化を目指し、
様々な催し物を企画し行うプロジェクトです。
2008年からサークル活動としても動き出し、夏のプロジェクトとしての活動だけではなく、
一年通して芸能の習得、研究を目的として日々精進しております。
これまでに大分、高知、大阪、そして京都と全国各地で公演を行っており、冬には島根県大田市温泉津町にて
『新春神楽』という舞台公演を企画し、地元及び観光客の方々に披露しております。
2005年より京都造形芸術大学において地域に残る歴史や文化、芸術に着目し、地域活性化につなげようと
『温泉津プロジェクト』を発足しました。
毎年夏に行われるこのプロジェクトは、過疎化の進みつつある島根県大田市温泉津町を、地元の神楽団である
「石見神楽温泉津舞子連中」と京都造形芸術大学の学生による「京都瓜生山舞子連中」とが協力し地域活性化を目指し、
様々な催し物を企画し行うプロジェクトです。
2008年からサークル活動としても動き出し、夏のプロジェクトとしての活動だけではなく、
一年通して芸能の習得、研究を目的として日々精進しております。
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